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炎の男・ヴィクトルについて

 まず、前提として、後述の有志のファンによる解説動画・第4話のヴィクトルのプロトコルから(無理やり)読み取った情報によると、ヴィクトルは「スピンでレベル4を取れていない」「後半にジャンプを持ってきていない(基礎点が×1.1倍になり、得点源となる)」「演技構成点において、5つある要素の中でCH(振り付け)とIE(曲の解釈)で10.0を1つのみ、あるいは1つも獲得していない(他の要素では10.0を複数獲得しているにもかかわらず)」など、まだ技術点・演技構成点の両方において点数を伸ばす余地があることがわかる。(YOI世界での総合得点世界記録保持者はヴィクトル・ニキフォルフと設定されているが、涙のGPFで出した335.76がその数字かは、作中で明らかにされていない。あるいはこれ以上のスコアを世界選手権で出しているのか、今のところ、不明である)

 ヴィクトルはユーリに曲の解釈について尋ねられた際に、「そんなのフィーリングだよ」と答え、実際、彼のものと思われるプロトコル(採点表)を解析すると、演技構成点において、PE(身のこなし)では10.0を9人の審査員のほぼ全員から獲得している一方で(私が個人的にとったスクショからはこれくらいまでしか読み取れませんでした、目の限界です)、CH(振り付け)とIE(曲の解釈)では10.0は1つからしか取れていない、もしくはひとつも獲得していないという(繰り返しになりますが、潰れた文字を無理やり読み取とっているので間違っている可能性は高いです)、極端な結果を示している。
 このシーンはフィーリングのみで世界の頂点に立つことのできた彼の天才性を古典的な表現で表すシーンでもあるが(長嶋茂雄の逸話や、ブルース・リーの”Don't Think. Feel.”などが思い出される) 、同時に彼は曲の解釈を他者が理解できるレベルまで言語化することができない(=曲の解釈を深くすることができない、その為に振り付けで意図したテーマと曲のリズムが調和せず、両方の要素での採点結果も低くなっている?)ということを表し、完璧にも見えるヴィクトル・ニキフォルフにも弱点があるのだ、ということを視聴者に暗に示しているシーンでもある。

 以上の点を踏まえると、彼が今まで以上に得点を伸ばそうと考えると、1.ジャンプを後半にもっていくプログラムを作る、2.スピンでレベル4を取る、3.演技構成点においてCH(振り付け)とIE(曲の解釈)の点数を上げる、ということが課題であることがわかる。
 しかし、1については、27歳である彼にとって、体力が落ちる後半に難易度の高いジャンプを持っていくのはかなりの博打であり、今まで前半にジャンプを持ってきていたのも、恐らくそれを懸念した上で、あえて前半にジャンプを持っていくことで、”勝つためのプログラム”を組み、安全な構成を採用していたのだと思われる。
 また、2についても1と同様の理由でレベル4を取れないのかもしれない。彼は自ら振り付けを行っているので、そこではレベル4が取れる構成にはしていると思われるが、実際に滑ってみると、取りこぼしが多い、ということなのか。それかあるいは、彼は確実に取れるレベル+GOE加点を狙って、もともとレベル4は目指していないということなのか。(彼のFSについてはプログラムが不明瞭な点も多いため、結論は出ない)
 そして、3については彼が物語の中でユーリの口を借りて代弁されている通り、「イマジネーションがわかない自分は死んだも同然」、つまりフィーリングについては完全にお手上げ状態、27歳という年齢から考えても相当に危険な行為である「1シーズン丸々休養」を取るほどに思いつめていたようだ。

 その一方で、本作の主人公である勝生勇利は彼のバレエの師匠(愛弟子の為とはいえ、わざわざ自費で海外遠征して試合を見に行く、深夜にライストして試合を観戦する、勇利を拝み倒してでも選手たちとの食事会を望む、クリスのファンである、など、相当なスケオタでもあるようだ)であるミナコ先生から「あんたのステップとスピンには定評があるもんね」とお墨付きである。そして実際、彼はステップとスピンでレベル4を認定されていると思われる。
 さらに曲の解釈についてもかなりの力を持っていることが、ヴィクトルが勇利とユーリの目の前でSP(Erosとagape)を滑った場面で示されている。彼は振り付けを一度見ただけで、そこに秘められた物語をその情景が目の前にあるががごとく語ることができ、さらに(Erosの振り付けを見たことが無いと思われる)西郡にその物語を口頭で伝えたのみで、曲の解釈について理解を共有できるレベルで言語化することができてている。
 加えて、振り付けに関しても独自の解釈(色男ではなく、色男を誘惑する美女を演じる)を加えて、振り付けをより女性らしいものに変更し、曲の解釈を振り付けに反映させ、曲の解釈と振り付けを見事に調和させ、ひとつの物語としてSPを完成させたインスピレーションの持ち主でも有る。

 つまり、勝生勇利はヴィクトルが持ち合わせていない技術の持ち主なのである。そんな彼が、大事な休養シーズンに勝生勇利のコーチをするべく、わざわざ日本までやってきたのは、はたして偶然なのだろうか。
 もちろん、彼がバンケット事件(10話)で勝生勇利から受けた衝撃は相当なものがあっただろうが、本当の意味で彼が勝生勇利のコーチ就任を決意したのは、勝生勇利が彼のプログラム「離れずにそばにいて」を滑る動画を見た瞬間である。彼が「電撃的なインスピレーション」を受けたのは、ヴィクトルが完成させることができなかったこのプロが、他人の手によって彼の理想形として具現化しているのをその目で見たからではないからだろうか?
 以上のことから推察するに、彼が勝生勇利のコーチに就任したのは、勝生勇利がそう希望したから、というだけではなく、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、彼がそう望んだからではないだろうか。ヴィクトルは勇利のコーチになった時点では引退する気はなく、むしろユーリに代表される若い世代の台頭に危機感を抱き、「このままの自分では来季からは勝てない」と思い、自分に足りないものを持った勝生勇利の技術を肌身から染み込む様に学ぶために、日本へ来たのではないか。

 ヤコフは同じ様な危機感を抱いていたからこそ、(ユーリを育てた彼はユーリはヴィクトルを超えるという予感を誰よりも感じていたのだろう)、「今休んだら帰ってこれなくなるぞ(ユーリがシニアに上がるし、他の十代もどう成長してくるかわからない)」と止めたが、それに加えて、「今までフィーリングでやって来たからここで行きづまっているのに、まだフィーリングで動くのか!」と説教したかったのかもしれず、そういう議論が実際にあったのかもしれない。けれど、最終的に、彼は笑顔で現役復帰するので、フィーリングが齎した危機も、フィーリングによって解決したとも言えなくもない。
 彼がもし、自分が勝生勇利を通じて今まで持ち合わせていなかったスケートを身に着け、自分自身も変化することによって、「また世界を驚かせるスケートが出来る」という直感があり、それに従って言葉も通じない、知り合いもロクにいないであろう異国へとマッカチンを連れてやって来たのだとしたら、彼の燃え尽きることのないファイティング・スピリット、勝利への渇望、終わりのない完璧への挑戦には驚くしか無い。
 もはや彼そのものと言っていい「勝利への渇望」は、尽きることはあるのだろうか?五度も世界の頂点に立ち(おそらくだが五輪の金メダルも獲得)、なお自分の中に伸び代を見出し、それを伸ばさなければ勝てないと思えば1シーズンを休養して、異国で一年を過ごすことも厭わない。やはり並大抵ではない。
 25歳で引退するのが普通の世界で、28歳になった彼が新しい自分を発見するというのは、まさしく彼が求めていた、「世界中の皆が驚くこと」ではないだろうか。というより、フィギュアスケートの世界だから、稀有なことの様に思えるが、実際のところ、彼はまだ二十代。新しい自分を発見するのは、ごくごく当たり前のことなのかもしれない。
 彼は周囲の風聞など全く意に介さず、競技者としての自分を欠片も諦めておらず、自分の伸び代がまだあると確信して、勝つために必要な、しかし自分が持ち合わせていないものを与えてくれると思った相手を見つければ、それに自分のフィーリング(直感)に従って飛びついて、思っていたよりも遥かに素晴らしいものを得た。
 そして彼が絶対にその相手を離さないなら、彼が滑った「離れずにそばにいて」はまさに現実化したということになる。この曲を滑ると選んだ時、彼はそんな事が起きるとは、少しも考えていなかっただろうが。「離れずにそばにいて」が共に戦う者達の歌というならば、戦う為に必要なものを互いに与え合い、分け合えあう彼らは、正しくオペラ通りの戦士たちである。
 この曲でFSを滑ると決めた時、ヴィクトルはあくまで「自分が勝つ為にはこの曲が最適」という以上の意味はなかったのだろうけれど、彼は心の奥底では「共に戦う戦士」を求めていた、という事なのかもしれない。「強さは一人で作るものだと思っていた」という彼が、そう思う様になったのも、また成長の証である。
 ただ、その「勝つ為に必要な新たな何か」を持った相手が、彼がそれを自分で見出して求めるよりも前に、向こうの方からやってきて、彼を熱烈に求めてくれる、というのも、絶対王者であるヴィクトルらしいといえばヴィクトルらしい話。やはり世界の頂点に5度も立つに相応しい、ものすごい豪運の持ち主と言えるだろう。ヴィクトルは最終的には「勇利の為に何ができるかを考えてる」ということを心の中で思い始めるが、それまでは、「自分が勝つ為の技術を勇利から学ぶ」ということの方が上だったのかもしれない。だが、最後には、貰うだけでもなく、与えるだけでもなく、相互に求め合い、与える関係となった。
 最終回のあの場面の意味するところが、勇利がロシアにホームリンクを移してヴィクトルとユーリがリンクメイトになった、ということなら、それを望んだ、もしくは受け入れたヴィクトルは、まだまだダブルユーリから学びたいことがいくらでもあり、もっとスケートを上手くなって新しい自分を見せつけて、世界中の人々を驚かせたい、ということだろうし、それだけの伸び代が、あの3人全員にあるということなのだろう。
 まだまだヴィクトルは世界を驚かせ足りないし、勇利はヴィクトルの想像をもっともっと超えたいし、ユーリはもちろんヴィクトルの記録全てを塗り替えたいし、憧れの勝生勇利を超えるようなスケートが出来る選手になりたい。それがラストの意味する所なら、びっくりするほどのHAPPYENDING!である。
 何にせよ、この物語が続くのならば、彼がダブルユーリから何を学んだのか、彼の滑りで見てみたい。

 

※ヴィクトルのプロトコルの内容については、本編のスクショから潰れた文字を無理やり読み取ったものであり、あくまでも個人的にはこう見えた、という以上の意味はありません。公式情報ではありませんので、おそらく間違っています。

 

<参考資料>

 この記事を作成するにあたり、以下の動画からお世話になりました。ありがとうございます。 

 

 

 また、公式の情報については、本編での内容に加え、以下の資料を参考にさせていただきました。

 

 

 

spoon.2Di vol.21 (カドカワムック 675)

spoon.2Di vol.21 (カドカワムック 675)