OHUTON

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炎の男・ヴィクトルの草稿

 

タイトル通りで、元ネタになった長文ツイートのまとめです。

上から下に時系列順になっています。(2017/1/5-6)

 

 ここら辺の「ヴィクトルには伸び代がまだある」「フィーリングだけではやっていけないところまできた(成長の兆し)」「ヴィクトルが出来ない、"曲の解釈を滑りに反映させる技術を持った選手が勝生勇利だった」という事を併せて考えると、ヴィクトルはコーチになった時点では引退する気はなくて、むしろユーリの様な若い世代の台頭に危機感を抱き、「このままの自分じゃ来季からは勝てない」と思って、自分に足りないものを持った勝生勇利の技術を肌身から染み込む様に学ぶ為に日本へ来たって事なのかな…。つまり、バンケット事件がなくても動画さえあれば日本に来てたかも?ということなのかな。

 ヤコフは同じ様な危機感を抱いていたから(ユーリを育てた彼はユーリはヴィクトルを超えるという予感を誰よりも感じていたのだろう)、「今休んだら帰ってこれなくなるぞ(ユーリがシニアに上がるし、他の十代もどう成長してくるかわからない)」と止めたけれど、「今までフィーリングでやって来たからこうなってるのに、まだフィーリングで動くのか!」と言いたかったというか、そういう議論が実際にあったのかもしれない。(結局、彼はフィーリングが齎した危機も、フィーリングによって解決したということになるのか…?)何にせよ、彼がダブルユーリから何を学んだのか、彼の滑りで見てみたい。
 25歳で引退するのが普通の世界で、28歳になった彼が新しい自分を発見するというのは、まさしく彼が求めていた、「世界中の皆がビックリすること」なんじゃないかな。というより、フィギュアスケートの世界だから、稀有なことの様に思えるけれど、彼はまだ二十代。新しい自分を発見するのは、ごくごく当たり前のことなのかもしれない。

 彼は競技者としての自分を全然諦めていなくて、自分の伸び代がまだあると確信していて、だからそれを与えてくれると思った相手に自分のフィーリング(直感)に従って飛びついて、思っていたよりも遥かに素晴らしいものを得て、絶対にその相手を離さないなら、彼が滑った「離れずにそばにいて」はまさに現実化したということになりますね…。この曲を滑ると選んだ時、彼はそんな事は思っていなかっただろうけれど。「離れずにそばにいて」が共に戦う者達の歌というならば、戦う為に必要なものを互いに与え合い、分け合えあう彼らは、正しくオペラ通りの戦士たち。

 逆に言えば、ヴィクトルはあくまで「自分が勝つ為にはこの曲が最適」と思って選んだ以上の意味はなかったのだろうけれど、彼の心の奥底では「共に戦う戦士」を求めていた、という事なのかもしれない…。「強さは一人で作るものだと思っていた」という彼が、そう思う様になったのも、また成長の証…。
 ただ、その「勝つ為に必要な新たな何か」を持った相手が、彼がそれを求めるよりも前に、向こうの方からやってきて、熱烈に彼を求めてくれる、というのもヴィクトルらしいといえばヴィクトルらしい話。やはり世界の頂点に5度も立つに相応しい、物凄い豪運の持ち主ですね。

 ヴィクトルは最終的には「勇利の為に何ができるかを考えてる」ということを心の中で思い始めるけれど、それまでは、「自分が勝つ為の技術を勇利から学ぶ」ということの方が上だったのかもしれない。でも、最後には、貰うだけでもなく、与えるだけでもなく、相互に求め合い、与える関係となった。
 最終回のあの場面の意味するところが、勇利がロシアにホームリンクを移してヴィクトルとユーリがリンクメイトになった、ということなら、それを望んだ/受け入れたヴィクトルはまだまだダブルユーリから学びたい、ということだろうし、それだけの伸び代が、あの3人全員にあるということなんだと思う。
 まだまだヴィクトルは世界を驚かせ足りないし、勇利はヴィクトルの想像をもっともっと超えたいし、ユーリはもちろんヴィクトルの記録全てを塗り替えたいし、憧れの勝生勇利選手を超えるようなスケートが出来る選手になりたい。それがラストの意味する所なら、びっくりするほどHAPPYENDING!つまり何が言いたいかというと、2期はよ!はよ!

 あと、びっくりするほどHAPPYENDINGをありがとう!